気ままにプログラミング(仮)- iPhoneアプリ開発者の日常

何でもないアプリ開発者の思いつきやら開発メモやら。ときどきエセ哲学風なことを書きたがるのはご愛嬌。

相手のためを思ってのことでも、強引に方向を変えようとするのはエゴである。

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自分が絶対的に正しいと思っていることですら、
相手にとってはまだしっくりと来ていない場合もあり、
また、価値観の違いともある意味取ることができ、
強く勧めることは、ただのエゴだということに気が付きました。

例えば、

『台風の日に川に近づいてはいけない』

とか。

絶対的に正しいと思うし、
近づこうとする人がいたら、
「辞めたほうがいい。」
声を掛けてしまうかもしれません。

いや、この例えの場合は、
もちろん声を掛けたほうがいいでしょう。

それでも、相手はいまいち理解しておらず、
好奇心だったり色々な事情で川に近づくことを
続けようとするかもしれません。

うーん、この例えの場合、
やっぱりそれでも必死に説得したほうが
いいような気もするのですが、

そうやって無理やり自分の考えに従わせようとすることが、
相手にとって良いはずと思えても、
やっぱりエゴなんだなと思ったのです。

相手には相手の思うとおりに人生を生きる権利があります。
それは、台風の日に川を見に行くようなスリリングなことを求める人生だったりするかもしれません。

そんな時、相手を思うためとはいえ、無理やり行動を変えさせようとするのは、
やっぱりエゴなんだと思います。

相手には思うように生き、また、思うように死ぬ権利もあるのです。

僕は相手がみすみす死ぬのを見過ごすのは嫌で、
ついつい強引に止めに入っていたように思います。


ちなみに、助言するぐらいならいいと思うんです。

「川に行くのは危ないよ。死ぬかもしれないよ。」と。

でも、その上で何を選択するかは、
あくまで相手の自由であるのだから、
無理矢理に行動を変えさせようとしては、
結局、対立やすれ違いを生じるだけで、
益のない行為であると思いました。

強引に力で解決しようとすることは、
どんな時でもあまり良い結果には結びつきません。

また、相手の意思を尊重することも、
大切なことであるように思います。

最近自分のエゴにちょくちょく気づくようになりました。
でもまだまだあるんだろうなぁ〜^^;

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