気ままにプログラミング(仮)- iPhoneアプリ開発者の日常

何でもないアプリ開発者の思いつきやら開発メモやら。ときどきエセ哲学風なことを書きたがるのはご愛嬌。

乳児がアレルギーになる仕組み/理由の仮説

僕は卵アレルギーなんですが、僕が子供の頃は卵アレルギーというのは大変珍しく、人に言うたびに「そんなのあるんだ!ケーキ食べられないじゃん!」といった新鮮な反応が返されたものでした。

今、子供を持って周囲の人の話を聞いてみると、「うちの子もそうなんですよ。」「うちの子は◯◯アレルギーなんですよ。」と、アレルギーが圧倒的に増えていることが分かります。

その原因について、とりわけ調べていたわけでもないのですが、ある時、

『乳児の腸は母乳を飲むために出来ており、大人の腸と構造が違い、大きな物質も分解せずに通してしまう。乳児期に離乳食を摂取すると、離乳食を腸が分解せずに通してしまい、本来脳に到達するはずのない物質が、脳に到達してしまう。
アレルギー反応は、人体を異物から守るための体の反応であるため、脳は異物が到達したと判断し、離乳食に対してアレルギー反応が起こるようになってしまう。』

というような話を聞きました。

乳児の腸が大きな物質も通してしまうということは、単に事実であり、それ以降の説明も不自然な点があるようには思えません。

僕はこの理屈がただの事実であるように思うのですが、他の人にはどのように見えるものなのでしょうか?

これが仮に事実でなかったとしても、このような説は広く検証されるべきであり、少なくとも説の存在自体は世の中に広まるべきだと思うのですが、このような話は今まで聞いたことがありませんでした。

こうしたアレルギーの子供を減らす可能性のある話のようなものが、もっと多くの人に行き渡って欲しいなと思います。

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少し追記します。

テニスプレーヤーのジョコビッチが、ピザ屋の両親の元に生まれながらも、小麦と乳製品とトマト(つまりピザの基本的な材料)にアレルギーがあったことも、乳児の腸の理屈で言えば全くおかしい事ではないように思います。

むしろ、両親がピザ屋であったから、それらのアレルギーが出てしまったと考えるほうが自然ではないでしょうか?

乳児であったジョコビッチにピザを食べさせるということはなくとも、仕事で使うピザの原料が体や部屋などに付着しており、そこからジョコビッチは知らずと摂取してしまっていたということは、大いに有り得ることじゃないでしょうか。


興味のある方はこちらのリンクも是非見てみてくださいませ。
www.sehimiry.com

環境を変えると人は変わる

人は影響を受けやすく、流されやすいものである。
だから環境を変えることで影響を与え、感情を流せば人は動くようになる。

環境とは、自分の意識の外側にあるもの全て。
家や職場や友人など自分の周囲のものだけではなく、自分の外観、体調、知識、経験、トラウマ、思い込み、信念なども、自分に影響を与える環境の一つと言える。

よく『全て自分原因説』というものを聞くが、その一つ手前の状態が『全て環境原因説』と言えるのではないだろうか。

人の意識や行動は、環境次第であると言っても過言ではないだろう。
例えば図書館では作業が捗るが、自宅では気が散りやすくなる。

そういった環境を、望む通りに変えられるのが自分である。
人には環境を変える力がある。

それを行わなかったという意味で、『全て自分が原因である』と言えるだろう。

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人は周囲の影響を受け変わっていき、それが人の面白いところでもあるが、人によってはもどかしいところでもある。

自分の思った通りに行動できないのは、自分の周囲の影響を受けているからとも言える。

ではどうするか?

先ほど環境の一つに信念を上げた通り、信念もまた自分に影響を与える。
だから、自分が決してぶれないような強固な信念を自分に与える。
すると、相対的に周囲からの影響は少なくなり、自分の思った通りの行動を取れるようになってくる。

現況を打破したい場合は、まず強固な信念を自分の中に作り、自分に望ましい影響を与えるようにすること。
次に、それ以外の周囲の環境を望ましいように改善していくこと。

自分を含めた環境が全て望ましいように変化するにつれて、自分の置かれている状況が刻一刻と変わっていくことだろう。

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と、思いついたことを書けば書くほど、それがそのまんま最近聞いたことであることに気づき驚愕(笑)

人は植物しか食べていないという話。

最近「あ、なるほどなー。」と思ったことの一つが、
「人は植物しか食べていない。」ということ。

素直に考えると、
「え、肉も食べてんじゃん。」
ってなるんですが、

じゃあ、その肉は何かって言うと、
ほとんどの場合それは草食動物の肉。

草食動物は何を食べているかというと、
文字通り草。植物。

だから肉を食べたとしても、それは草食動物を経由して、
植物を食べていることになる。

従って、「人は植物しか食べていない。」と言えます。

魚の場合や、万が一、肉食動物を食べる場合も、元を辿っていけば、植物、ないしは植物性プランクトンに行き着くわけで、やはり植物しか食べていないと言ってもそんなに間違ってはいないでしょう。

だから何だと言われると、とりわけ何を言いたいわけでもないんですが、何だか勝手に感心したというお話でしたw

植物には感謝ってことですかねw

秋の夜長にEvernoteに作文

自分が最初に酒を飲んだのはいつだろうか?

Evernoteに記録するつもりで書こうとしたところ、
禅問答のようになってしまい、
思考があっちゃこっちゃに飛び散り、
気付けば物凄い長文になってしまった。

けれどもお陰で大事なことに気付けたような気がするw
秋の夜長にEvernoteに作文、オススメですw

アプリをパクられましたorz

↑こちらは本物

視力保護ブラウザというアプリを以前からリリースしていたのですが、
パクリアプリがリリースされたのを見つけてしまいました。

アイコンからアプリデザインから説明文までパクリ。

Apple経由で開発者にメッセージは送ったのですが、
今のところ音沙汰はなく、このままではDL数の純減です。

困った〜(笑)
いよいよ裁判なのか?(笑)

==========追記=========

数ヶ月の交渉の末、アプリは無事取り下げて貰うことになりました^^

iPhone用リサイズアプリ(広告カット版)をリリースしました!複数画像を同時にメールできます!

iPhone用リサイズアプリの広告カット版をリリースしました!

元々、無料版は配布してたんですが、広告が多いとの声が多かったので、有料版を出してみました(笑)

ガラケーやらPCやらに写真を送ることが多い方は、使ってみると便利かもしれません^^

以上、結構久しぶりになってしまった新アプリリリースでした(笑)

ちなみに広告画像にこっそりと娘の写真を混ぜてみました(笑)

椅子を新調しました。とりあえずの意味。

f:id:Rusie1001:20160322134338j:plainf:id:Rusie1001:20160322134234j:plain2年前の急な引っ越し以来、「とりあえずこれでいいか。」と使い続けた椅子を新調しました。

「仕事はできるから、まぁ、いいだろう。」と思い使っていたんですが、
今更になって職場環境として良い訳がないことに気づき、買い換えました(笑)

『とりあえず』って、『今は取り合えないので』ってことかなと思いました。

『今は取り合えないので、(とりあえず)こうしよう。』

つまり、後で必ず取り合う必要があったんですね。

今まで『とりあえず』のまま使ってきたものが、どれほどあることか(笑)

断舎離しているはずなのに買うものがやたら多い最近です(笑)

イライラの原因/イライラしない方法

何かにイライラするとき、そのイライラの原因は、その何かに含まれるのではなく、自分の中にあるのだなと思いました。

例えば、
「これから絶対まっすぐ前に進もう。」
と決めて、家を出て1分後、いつもは通れたはずの道に、突然

『工事中のため通行不可』

の看板を発見すると、イライラします。
「いつもは通れたのになんで今日に限って!!」
みたいな感じで。

逆に、
「これからまっすぐ前に進もう。でももし無理そうなら別のことをしよう。」
と決めていれば、同じように看板を見つけた時、
「あ、看板だ。じゃあ今日はやっぱり何をしようかな?」
と、イライラしません。

イライラの原因は、看板ではなく、自分の中の『こだわり』だったというわけです。

自分の中の『こだわり』や『思い込み』、『こうあるべきだ』が強いほど、多いほど、イライラしてばかりになってしまうかと思います。
逆に、あらゆる『こだわり』『思い込み』『こうあるべきだ』をなくしてしまえば、楽に毎日を過ごせるかと思います。

これって、自分の在り方、意識の持ち方の話になるかと思うんですが、ちょうどタイムリーな記事があったのでシェアします。

以下、引用。

99人から賞賛を受けても、たった1人からでも罵倒を浴びれば、どうしても自分の意識は1人の人間に向かってしまう。そういう時は、99人の存在も簡単に見失ってしまう場合もあるけれど、多分、惑わされてはいけないのだと思う。同じように、99人から悪く言われたとしても、たった1人から信頼を寄せてもらえたということが、自分を支える大きな力になることもある。自分の外側で何が起きていたとしても、自分の意識を何処に向けるのかということは、きっと、自分の意思で選択できるはずだ。

ibaya.hatenablog.com

一つミスを犯した時

一つミスを犯した時、
三歩前へ進めたんだと思いましょう。

ミスを正しく反省すれば、
それぐらい前に進めるはず。

ミスをせず成功した時は、
それまでの失敗を
正しく活かせたんだと思いましょう。

成功は反省あってのものです。

成功した時は、
過去の失敗を喜びましょう。

片付けって『カタを付ける』こと

片付けって『カタを付ける』ことなんだなぁと、改めて思いました。

片付けと言いながら、身近にある物を何も考えずに仕舞うのは、
実は全然カタがついていない。

だからすぐにまた散らかる。

これは要る。これは要らないから捨てる。
と、カタを付けるから片付く。

片付けってすなわち断捨離ですね。

太極図の陰陽とは何か??個人的な考察。

f:id:Rusie1001:20160129011909j:plain

太極図の陰陽って何かって言うと、
文字通り光と影。

じゃあ、光と影って何かって言うと、
片方があると絶対に生まれる、もう片方。

誰かが光と言った瞬間に、
影(闇)が生まれる。

だから、闇は疎んじるものじゃない。
闇を疎んじたところで、闇はなくならない。
なぜなら光があるから。

じゃあ、どうするか。

今までは光を善とし、闇を悪としてきた。

その二律背反は、その考え方では永遠に終わらない。

じゃあ、どうするか。

それがあの太極図。

互いに受け入れ、調和しているのがあの図。

光と闇が互いに交じり合い、一つの輪を成している。

輪が整う。ワガトトノウ。和が調う。

これを調和というのだと思います。

これからは調和の時代。

相手の意見に反発するのではなく、
相手の意見を受け入れて、自分の意見を返す。

それだけで和が調います。

どのような時も、
私が正しいという思いが、
相手との溝を深めてきたように思います。

あなたの意見ももっともだ、そこで私はこう思う。

こんな感じで会話をすれば、
争いは生まれないのだと思います。

これをコミュニケーションというのだと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD

悟りは何の差を取る??

悟るって差を取ることだとは思っていたんですが、
じゃあ、何と何の差を取るのかは
いまいち分かっていませんでした。

色々と差を取るところはあると思うんですが、

ひょっとして、
『その人の望む現実』と『実際に起こっている現実』の差を
取るんじゃないかと思いました。

この差が取れるということは、
自分に起こっている全ての現実を
受け入れることを意味します。

つまり、
例えば物事が上手く行かない時に、
「何で上手くいかないんだ!」
という葛藤が生まれなくなります。

なぜなら上手く行かない現実を受け入れているので。

だから、悟ると楽になるのかなと、
これまたふと思いました(笑)

日本は和の国。和算の国。

相手の個性と自分の個性を足して(和算)、調和を図るのが、和の国日本の元々の考え方。
現在はびこっている、異なるものを煙たがる考え方とは、真逆のもの。
古来日本では異なるものと出会えば、すぐに受け入れ調和していった。

それに脅威を感じた人がいて、あれやこれやが行われた。

和算を足し算と呼ぶようになったのも、その一つだったりするんじゃないかなぁ。

と、ふとそんな気がした(笑)

願望成就の方法/願いが叶う人と叶わない人の一つの境目

「○○したい。」「☓☓したくない。」は、願望成就の第一歩であるけれども、
最大の落とし穴でもあります。

というのも、この状態のままでいた場合、
望む現実は遠ざかってしまうからです。

どうしても叶えたい願望は、必ず
「○○する。」「☓☓しない。」と、決意しなければなりません。

そうすることで、願望を成就させるための思考が動き出します。

ある種、「○○したい。」「☓☓したくない。」の状態は、
思考を停止させてしまうため問題であるとも言えるかも知れません。

例を出します。

東京大学に行きたい。」とします。

この時、意識上で、あるいは無意識下に「俺は東京大学に行くぞ。」
と決意している場合と、していない場合があります。

決意している場合は、行動が変わってきます。
恐らく、どうすれば試験に合格できるかを調べたりし始めるでしょう。
勉強することが苦ではなくなってくるはずです。

決意していない場合は、どこかしら「まだ先の話」と捉えていて、
行動が起こりません。勉強するのが面倒くさい状態です。
だから当然叶いません。

無意識下も含めて、
「○○する。」「☓☓しない。」の決意ができているかが、
願望成就の境目です。

昔から願っているのに、中々叶わない願望は、
実は叶えることを決意できていないのかも知れません。

人生で嫌なことや不運な出来事が起こる理由、原因が分かってきた(笑)

最近、人生レベルで色々色々色々なことが一本に繋がってきたので、記念に結論を書きます(笑)

良い事をすると得をします(笑)

仏教にある、徳を積む、は同じこと指していそうです。

ちょっと注釈を入れます。

良い事とは、例えばおじいさんに席を譲るみたいなことだけではなく、自分の体にとっていいこと、例えば無農薬の野菜を使ってみる、みたいなことも含みます。

そうすると、良い事が起こります。例えば、家のタンスからお金が出てきたり、感じのいい人と知り合ったりします。

この時、たまにというか結構な頻度で、自分的に嫌なことも起こります。

何故、自分的に嫌なことが起こるかというと、人は誰でも様々な思い込みや、考え違いや、意固地になっている部分を持っているものです。一言で仮に悪習とします。

この悪習を解消させるために、解消のきっかけとなるような、自分的に嫌なことが起こるのです。

例えば、毎日ネットゲームに18時間費やしているAさんがいるとしましょう。Aさんは楽しくやっていて、一ヶ月ぐらい毎日遊んでいたとしましょう。

この時に、何故か遠方の親戚が家に泊まりに来たりして、ネットゲームが出来ない日々が続いてしまうような出来事が起こります。

この時、
悪習=ネットゲーム18時間
嫌な出来事=親戚が泊まりに来た=悪習を解消するきっかけ
という構図になるわけです。

そして、この親戚お泊まり事件を通じて、「あれ?なんかネットゲームより親戚と遊ぶほうが楽しいぞ??」とか、気付きを得られた場合、二度と同じ事件は起きなくなります。

逆に、「ああ、最悪だった。」としか思えなかった場合、気付きを得るために、気付かさせるために、何度も似たような事件が起こります。

人生において何度も同じような嫌な出来事が起きている人は、何かそこから気付きを得る必要があるみたいです。

ちなみに、例としてネットゲーム18時間を悪習としましたが、あくまで説明のためです。それが現状で必要な人もあり得ます。念のため。

少し話はそれましたが、そんな訳で、

良い事をすると得をします。
ただし、気付きのための嫌な出来事が起こることもあります。

と言っておくと盤石な気がします。

ものは試しで何か良いことをしてみることをオススメします。何か得をするはずです。全然関係ない角度で(笑)

ちなみに、良いこととして今のところコスパが最強なのは、塩や醤油などの調味料を評判の良い物に変えることです。

毎日、口にするものなので、一撃で自分にとってかなり良いことが出来ます。
そして毎日、良いことと、自分的に悪いことが起こるようになってきます(笑)

こういうことは周りから変な目で見られそうなんで、書くのを控えることが多いんですが、書いちゃいました(笑)

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